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第18回 葬儀社の選びかた

現代人の8割以上は自宅以外で最期を迎えます

株式会社三共の吉川徹でございます。「遺影」、「お葬式」と続いて、今回は「葬儀社の選びかた」について考えてみたいと思います。

現代では、人が亡くなる場所の8割以上が「自宅以外」になります。病院や施設等で最期を迎える方がほとんどで、「自宅の畳の上で死ぬ」ことは稀になりました。ご本人は不本意かもしれませんが、その後の流れを考えると、医療機関で亡くなったほうが遺族としては負担が少ないのも事実です。また、法令上は死亡後24時間以内は火葬もできません。

書類の申請以外のことを言えば、最初にすることは「ご遺体を搬送すること」。医療機関が紹介する葬儀社(※1)にお願いすることになるのが通例で、この段階では葬儀社は選べません。そして多くの場合、ご遺体の搬送を担当したこの葬儀社が「その後の葬儀のすべて」を担当することになりがちです。

ですが、本当はここからは業者を選択できるのです。詳しく見ていきましょう。

 

 

 

まずは安置までをお願いし、いったん落ち着きましょう

身内の突然の死は、誰にとってもナーバスなもの。葬儀社スタッフの身なりが気になったり、言葉遣いが不快だったりするのであれば、その葬儀社に任せる必要はありません。そもそも、その病院と「たまたま提携していた」だけの関係性に過ぎないのです。大切な葬儀一式を任せるに足る業者かどうかは、自分たちで確認するしかありません。

まずはご遺体の搬送先を決めます。それは「自宅か葬儀社か火葬場」の三択になるのですが、まずは運んでもらうだけ。その業者に安置までをお願いをし、そこでいったん清算。改めてお葬式の見積もりを書面でお願いしましょう。

自宅に安置してもいいですし、遺体を預かってもらってもいいと思います。まずはいったん落ち着き、互助会(※2)に入っていたかどうか、喪主は誰にするのか、宗教は何だったか(※3)、参列者が何人くらいになるか(お葬式の規模)を考えます。そして、必ず複数社に見積もりをお願いしましょう。

複数社に見積もりを出すことに不快感を示す業者、書面での提出を渋る業者は問題外。除外して問題ありません。また見積書の内容が雑な業者(一式でいくら、とだけ書く)もお願いはできませんよね。

ホームページや電話での印象だけでなく、欲を言えば営業担当者に会って話ができるとベストです。人の死によって発生する葬儀は、遺族にとっては「めったにないこと」でも、業者にとっては「よくあること」。事務仕事感が出過ぎずに、遺族の悲しみに寄り添える業者かどうか、見極めてください。

また、見積書で大切なのは変動要素の明記(※4)。招待状を配る結婚式とは違い、お葬式は「何人来るかは、やってみるまでわからない」もの。人数が増えることで「香典返し」や「飲食代」が変わります。それがちゃんと明記されているかどうか、確認してください。

「最初の見積書と請求金額が違う!」というトラブルは、だいたいここに起因します。 

 

 

 

どうかお疲れがでませんように

時間がなくて複数社に見積もりなんて取れないよ、ましては担当者と直接会ってから決めるなんて、とてもじゃないけどわたしには無理、と思われるかもしれません。ですが、急いで決める必要はまったくないのです。

現在は防腐技術も進んでいますので、処置を施しさえすれば、一週間安置しても問題はありません。そもそも
東京では火葬場があかなくて、一週間またされることも珍しくないそうです。

葬儀が始まってしまえば、遺族にはゆっくりする時間はありません。各種の手続きと参列者(会葬者)への対応でいっぱいいっぱい。亡くなったご本人は取り仕切ってくれません(笑)。ご遺体を前に、誰にも邪魔されずにゆっくりと思い出にふける時間も、わたしは大切だと思います。魂が天に召されたあとのご遺体は、少し怖いかもしれないけれど。


葬儀社は許可や認可は必要でないため、誰でも事業として始めることができます。したがって、正確な葬儀社数は把握できていないと言われ、監督官庁さえ存在しません。また、日本人独特の「死を忌み嫌う(死を考えたくない)習慣」(※5)が業者への不理解につながり、金額その他のトラブルになっていたのだと思います。

どんな業界にも志の高い優良事業者もいれば、そうでない不埒な集団もあります。大切な身内の大切な葬儀ですから、「よくわかないから、業者にすべてお任せで」とはしないで、きちんと選んでほしいと思います。そういう意味では、本人が生前に葬儀社を選んでおくことは、遺族にとってはひとつ負担の減る「助かる終活」になりますよね。

最後に。お葬式に参列した際、遺族にかける一番いい言葉をご紹介します。

「心よりお悔やみ申し上げます」も「悲しみが安らぎますように」もいいとは思いますが、とある日本語の先生がこう言っていました。わたしも同感です。お葬式はとかく遺族に負担のかかるもの。正解は「どうかお疲れがでませんように」だそうです。それでは、また。

 

 

 

※1 医療機関が紹介する葬儀社
正確には医療機関と業務提携している葬儀社、になります。なるべく早くご遺体を外に出したい医療機関と、仕事がほしい葬儀社という関係です。実際には連絡してから何分以内に引き取りに来れるのか、という厳しい裏の約束事もあるそうで、葬儀社側から医療機関にキックバックがあるのが通例です。したがって葬儀社にしてみれば、「搬送だけ」で終わってしまってはビジネスになりません。そのまま「何となく」その後の葬儀も取り仕切らせてもらって、ようやくキックバックができるというものです。

※2 互助会
聞いたことはあるけれどよくわからない、という方は多いのではないでしょうか。正しくは「冠婚葬祭互助会」と言い、経済産業省の許可を受け、特定のサービスの提供を目的とした、「前払い式特定取引業」のことです(笑)。会員が毎月掛け金を積み立てて、その積立金をもとに冠婚葬祭を行えるという仕組みで、結婚式・成人式等にも使用できます。ですが、なかなかトラブルが多いのも事実。互助会に関しては、また章を別にしてお話ししたいと思います。

※3 宗教は何だったか
日本の葬儀の約9割は仏式で行われています。したがって、何の宗教で葬儀をするかは大事なポイント。宗派はどこなのかも把握しておく必要があります(ちなみに我が家は浄土宗です)。また、お寺にお墓がある場合は菩提寺に連絡しましょう。菩提寺があるかどうかわからない方は、ごめんなさい、「何が何でも」突き止めてください。菩提寺に知らせないまま「うっかり」葬儀をしてしまうと、とても大変なことになります(笑)。この話もまた別の機会に。

※4 変動要素の明記
葬儀社の見積もりはまさに業界ならではで、ちょっと特殊なんです。「葬儀一式(葬儀費用)」という表現をするのですが、これは実はすべての葬儀代の「一部分に過ぎない」のです。実際に請求されるものは、「葬儀費用 + 実費費用 + お布施」の総額になります。葬儀費用は自社で用意するもの(祭壇や棺、スタッフ代)、実費費用は飲食や返礼品などの外注業者が用意するもの、をさします。これを覚えておけば、トラブル防止に役立ちますので、ぜひどうぞ(笑)。

※5 日本人独特の「死を忌み嫌う(死を考えたくない)習慣」
葬式仏教、という言葉があります。普段は何の関係性もないのに、お葬式になると出てくる形骸化した現代の仏教を揶揄しているのですが、しかし問題は仏教界だけにあるわけではありません。「死に触れると穢れる」という日本独自の宗教観により、わたしたちはあまりにも死を避ける傾向があります。死を考えたくない、イコール葬儀その他を誰かに丸投げしてしまう、という消費者側の態度にも問題があると思います。わたしたちはもっと、明るい場所で死を考える必要があるのではないでしょうか。

 

 

 

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吉川徹(よしかわとおる) プロフィール
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1977年静岡県浜松市出身

遺品整理士(IS02984号)
終活カウンセラー上級(1560194)
最終処分場管理責任者

【近況報告】
当HPでもお知らせしました次回のセミナー、3月24日(金)開催、「終活カウンセラーと書く初めてのエンディングノート書き方セミナー」ですが、おかげさまですぐに定員30名が埋まってしまいました。心より御礼申し上げます。入場無料ですが、みなさまの貴重なお時間をいただくわけですから、それに足る内容になるよう、今からどきどきしています(笑)。

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第17回 ようこそ、わたしのお葬式へ

お葬式はいつも突然に

平素は大変お世話になっております。株式会社三共の吉川徹です。相変わらずの寒さですが、風邪など召されていはいないでしょうか。わたしは正月のあれ以来、元気です(笑)。

さて、前回は遺影の話をしました。その流れで、今回は「お葬式」について(※1)お話ししたいと思います。何となく思い出したのですが、向田邦子のエッセイに、喪服を新調して、不謹慎だけれど早く着てお出掛けしたいなどと思っていたところ、とても大切な人が亡くなって、浮かれていた自分を恥じた、というものがあります。

個人的な話ですが、わたしが人生で初めてお葬式に参列したのは7歳のときでした。ごく普通に元気だった祖父が突然亡くなったのですが、大好きだった祖父がいなくなってものすごく泣いた(※2)のと、通夜・葬儀が長くて長くて耐えられなかったことを記憶しています。正座していい子にしている、というのが苦痛だったのだと思います(笑)。

 

 

 

葬儀の種類

昔の葬儀は極めて簡素なものでした。清めたご遺体を棺(ひつぎ)に納め、村の墓地まで皆で「野辺(のべ)送り」(※3)にする。そのときに使用する提灯などを用意したのが「葬具屋さん」であり、それが葬儀社の前身になります。今でもいくつかの葬儀社が「○○葬具店」という屋号を使っているのは、そういう歴史的経緯からきています。

葬儀にはいくつか種類があり、最近では「家族葬」や「直葬」という言葉も出てきました。わたしの住んでいる地域にも、「家族葬を売りにしている葬儀社」が増えているのですが、この家族葬、実は正確な定義がないのです。

一般には、「参列者を身内や親友などのごく親しい人だけに限定した葬儀」ということになり、参列者も30名程度が目安になります。仕事関係者等の儀礼的な参列はお断り(※4)をし、香典・献花も受け取らない(香典返しも用意しない)、というスタイルです。参列者への対応よりも、故人とのお別れに重きをおくところに人気が出ているのだと思います。

ちなみに「直葬」というのは、病院や施設等の亡くなられた場所から直接、火葬場へお運びして、そのままお別れをする形をさします。「一般葬」は、参列者を限定しないごく普通の葬儀(最近は減っているそうです)、たまに誤解される「樹木葬」は、葬儀ではなくて埋葬方法のひとつになります。

他にも、「密葬」と「本葬」(※5)というものがあります。

 

 

 

本人が執り行えればいいのに

どんな形の葬儀を選ぶにせよ、一番大切なのは、喪主も含めた参列者全員が故人ときちんとお別れができること。祭壇の豪華さ、献花の数や香典の額、どんな人からお悔やみの電報が来るかは関係ありません。参列者の数で、その人の生前の何かをはかれるものでも、もちろんありません。

そういう意味では、不謹慎だと言われるかもしれませんが、わたしは亡くなった本人が葬儀を執り行えると一番いいと思っています。久しぶり、いやいや、ごめんねえ、遠くからわざわざ来てもらって、元気そうでよかった、そうそう、本当にお世話になったよね、今までありがとう、まあゆっくりしていってよ、とか。

先生、お久しぶりです、忙しいのにもう、本当に、先生より先に死んじゃって不幸者ですみません、先生はまだ教壇に立っていますか、ああ、嬉しいなあ、もう一度だけ先生の授業を受けたかったなあ、先生は長生きしてくださいね、とか。

そんな風に本人が、参列者の一人ひとりと、文字通りの「最後のお別れ」ができたら、本当に最高の葬儀になると思うのですが、まあ、さすがに非常識ですかね(苦笑)。

そんな意味も込めて、今回は「ようこそ、わたしのお葬式へ」というタイトルにしてみました。

言うまでもないことですが、葬儀をするにあたって葬儀社の存在は必須です。次回のテーマは「葬儀社の選びかた」です。早く春が来るといいですよね。それでは、また。

 

 

 

※1 今回は「お葬式」について
「お葬式」という言葉ですが、正確には「葬儀」と「告別式」を合わせたものをさします。「葬儀」は正しくは「葬送儀礼」と言い、ご遺体を納棺し荼毘にふすまでの儀礼をいいます。「告別式」は故人と社会的関係にあった方々との式典(セレモニー)をさし、現代では会場の時間制限を守るため、「葬儀」と「告別式」が同時に行われます。会場の回転率を優先するために、違う性格のものを一緒にしてしまうのであれば、やがてその意味や目的も失われるのは当然だと思います。お葬式なんていらない、という意見にはこんな背景もありそうです。

※2 大好きだった祖父がいなくなってものすごく泣いた
30年以上前の話ですので、さすがに記憶が曖昧なのですが。小学校1年生だったわたしは、当日は学校にいたのですが、祖父が亡くなったという報が学校へ入ると、そのまま授業を放棄して、兄と姉とともにタクシーで祖父の家へ向かいました。ねだれば何でも買ってくれる祖父がわたしは大好きで(笑)、突然に人がいなくなる初めての経験にとてもショックを受けました。ちなみに株式会社三共の創業者が、祖父・吉川貞男になります。

※3 「野辺送り」
火葬場や墓地まで列を組んで死者を送ることを「野辺送り」と言いました。今風で言うと「葬列」でしょうか。地域によってさまざまですが、提灯や松明を先頭にして、花籠や香炉、位牌、柩(ひつぎ)と続き、死者との関係性で役割が決められました。霊魂が家に戻らないようにという配慮から、「行きと帰りでは道を変える」、「使用した草履は捨てる」という風習も。現在では霊柩車の登場で、列を組むこと自体がなくなりました。ちなみに「棺」は中が空のもの、「柩」は仏様の入ったものをさします。

※4 仕事関係者等の儀礼的な参列はお断り
「家族葬」の一番難しいところが、実はここになります。ある程度の社会的地位があった人は、当然、交友関係も広いもの。仕事でお世話になったし、お線香のひとつでもねえ、ということで後日、まったく面識のない人が自宅のインターフォンを鳴らし、「奥さん、突然ですみません。近くまで来たものですから」と言われる。「お帰りください」などと玄関口で言えるはずもなく、家に上げればお茶も出さないわけにもいかず、香典や菓子を受け取ってしまえば後で返礼もしなければなりません。平日も週末も問わずに弔問客が訪れて、結局、過労で奥さんが倒れてしまった、なんていう話も。そうであれば、乱暴な言い方になりますが、「一般葬にして一網打尽にしてしまう」のは理にかなっているのです。

※5 「密葬」と「本葬」
「密葬」を「家族葬」と混同している方がたまにいますが、「密葬」と「本葬」は対になる概念です。例えば大物芸能人が亡くなったとしましょう。「一般葬」にしてしまうと参列者が3,000人を超えてしまう、これでは親族はとてもじゃないけれど落ち着いてお別れができない。こういう場合に近親者だけで先に「密葬」を済ませ、その後に盛大な「本葬(お別れの会)」をする、というスタイルです。したがって「本葬」のない「密葬」はありえません。「社葬」の前に「密葬」をする、というのもありますよね。

 

 

 

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吉川徹(よしかわとおる) プロフィール
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1977年静岡県浜松市出身

遺品整理士(IS02984号)
終活カウンセラー上級(1560194)
最終処分場管理責任者

【近況報告】
先日、終活カウンセラー協会の「上級インストラクター養成講座」を受けてきました。セミナー講師の心得からパワポ資料作成時の大事な点、そして各科目のセミナーの実践と、まあ濃い二日間でした(笑)。それぞれ課題が与えられ、2月下旬にまた「3日目・4日目」があるのですが、なかなか準備するする時間が取れなくて(泣)。とはいえ、頑張りますです、ええ。

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第16回 遺影を撮りましょう

最強寒波の過ぎ去ったあとで

株式会社三共の吉川徹でございます。最強寒波に見舞われた日本列島ですが、みなさまお変わりはありませんか。わたしも仕事で月に2回くらい東京へ行きますが、東京より浜松のほうが寒い説(※1)に同意です、寒い。

さて今回のテーマは遺影。ずばり、「遺影はご自分で用意しておきましょう」というお話です。人が亡くなるのはいつだって突然です。そして、そこから怒涛の手続きが始まります。ご遺体の搬送や安置、死亡届の記入、葬儀社との打ち合わせ、通夜の準備等々。

悲しみに暮れながらも、しかし進めるべき作業はわたしたちをまってはくれません。遺影のお写真はどうしましょうか、と葬儀社さんに言われて初めて気づき、「どうしよう、どの写真にしよう・・・」となりがちです。

そして多くの場合、スナップ写真を引き伸ばして間に合わせる(※2)、ということになります。ですがもちろん、あまりおすすめできる話ではありません。

 

 

 

「縁起でもない」時代ではもうありません

引き伸ばした画像は当然、解像度の荒いものになります。多くの場合、遺影は何十年も残りますので、本来であればきちんとした物を用意したいところ。わたしは遺品整理の関係で多くのお客さまのご自宅で遺影を拝見してきましたが、「素晴らしい出来の遺影」というものにはなかなかお目にかかれません。

場合によっては、運転免許証の写真を使うケースさえある(※3)そうです。

葬儀社さんに急かされて、何となく選んだ写真が何十年も残る。お母さん、こんな顔をしていたかなあ、と遺族の方が思ってしまうような遺影では、ご本人さまも含めてちょっと悲しいですよね。少し難しい表現になりますが、写真ですから、「実際よりも美しい遺影」というものがあってもいいとわたしは思います。

ということで、解決方法はひとつです! 「ご本人が遺影の写真を用意しておく」、これに尽きます。そもそもが遺影用の写真ですから画像が荒くなることもなし、遺族も慌てる必要もなし。本人が選んだんですから、「こんな顔だっけ問題」も起こりません。

そして。ご理解いただけると思いますが、「遺影をあらかじめ用意しておくなんて縁起でもない(※4)」という時代では、もうありません。

 

 

 

写真館で撮っておくのがベストです

個人的な話ですが、わたしの母はわたしが25歳のときに他界しました。娘が生まれたのは29歳のときですので、娘は「父方の祖母」の顔を知りません。実家にはわたしの母の遺影があり、娘からしたらそれはほとんど唯一の祖母の顔なのですが、わたしからすると「うちの母ちゃん、そんな顔だったかなあ」という写真なのです。

もっともその写真は、母が生前から遺影にと指定していた写真(※5)なので、それはそれでいいと思っています(笑)。

今では遺影を撮影してくれる写真館は珍しくありません。これはとあるサイトからなのですが、「写真館で撮ることで背景も奥行きがでて美しく仕上がる」、「余分な修正も不要」、「残された家族と長く過ごす写真を自分で選んでおくことはおかしいことではない」、とあります。

まったくそのとおり。終活の一環として、ぜひ、ご自身で遺影を撮って用意しておくことをおすすめします。終活フェアでも、「遺影を撮る」ブースは、「体験入棺(棺桶に入る)」ブースとともに大人気コーナーなんですよねえ。それでは、また。ぱしゃり。

 

 

 

※1 東京よりも浜松の方が寒い説
当コラム第13回の欄外で少し浜松市の紹介をしましたが、気温のわりに体感温度が低いのが浜松市の特徴です。その理由は、「遠州の空っ風」と呼ばれる強風。もうともかく、風の強さではどの市町村にも負ける気がしません(笑)。冬は気温よりも風の強さですよ、大将。

※2 スナップ写真を引き伸ばして間に合わせる
遺影の印象が今ひとつになる原因はいくつかありますが、そのひとつは「背景を修正する」から、です。遺影の背景は青やグレーの一色で塗り潰すことが多いのですが、そうすると平面的になり過ぎて、どうしても印象がのっぺりしてしまいます。また、無理に和服などを着せてしまうケースもあり、もともとの画像が荒いところにさらに修正を加えるのですから、どうして不自然になってしまいます。

※3 運転免許証の写真を使うケースもある
わたしの運転免許証の写真は最高の出来だ、と胸を張れる人はいないと思います(笑)。ご多分に漏れず、わたしもこの出来に不満です。これはわたしではない、実物はもっとハンサムだと言いたい(笑)。ということで、いくら何でも運転免許証を流用されてしまうのは勘弁したいところです。そんなに適当にわたしの遺影の写真を選ぶな、と化けて出るくらいなら、最初から自分で用意しておけばいいと話になりますよね。

※4 縁起でもない
死にまつわる話をすることは、かつては「縁起でもない!」のひと言で終わっていました。ですが、現代ではそうはいきません。今の日本は「かつてない規模の多死社会」であり、相続やお墓も含めて、「残った人の好きにすればいい」というわけにはいきません。遺言書のところでも書きましたが、愛する家族が困ったり争ったりしないよう、できる範囲で準備しておくことが愛情だと思います。

※5 母が生前から遺影にと指定していた写真
当コラム第7回でも書きましたが、わたしの母はバッグや装飾品を友達に譲ってみたりと、今にして思えばまだ「終活」という言葉がまったくない時代に、自分なりに身のまわりの整理をしていたんだなあと思います。わたしは思うのですが、自分の死期を何となく悟って、それに向かってゆっくり歩んでいく晩年も、豊かな人生の一部分ではないでしょうか。そして。わたしは時間をかけて母の最期を看取ることができたので、果報者でした。

 

 

 

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吉川徹(よしかわとおる) プロフィール
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1977年静岡県浜松市出身

遺品整理士(IS02984号)
終活カウンセラー上級(1560194)
最終処分場管理責任者

【近況報告】
今回のテーマは遺影。ということでわたしの写真も遺影風にデコってみました。いかがでしょうか(笑)。吉川徹、享年は39歳。惜しい人を亡くしました、まだ若かったのに、ええ、いい人でしたよねえ。え? そんなにいい人でもなかった気がするって? こんな席ですから、話、合わせてくださいよう。