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第9回 日本尊厳死協会

尊厳死の宣言書

@私の傷病が、現代の医学では不治の状態であり、既に死が迫っていると診断された場合には、ただ単に死期を引き延ばすためだけの延命措置はお断りいたします。

Aただしこの場合、私の苦痛を和らげるためには、麻薬などの適切な使用により十分な緩和医療を行ってください。

B私が回復不能な遷延性意識障害(持続的植物状態)(※1)に陥った時は生命維持措置を取りやめてください。

以上、私の宣言による要望を忠実に果たしてくださった方々に深く感謝申し上げるとともに、その方々が私の要望に従ってくださった行為一切の責任は私自身にあることを付記いたします。

 

 

 

リビング・ウイル(生前意思:Living Will)という考え

みなさま、こんにちは。株式会社三共の吉川徹でございます。唐突ですが、冒頭に「一般社団法人 / 日本尊厳死協会(※2)」の「尊厳死の宣言書」を抜粋してみました。今回のテーマは「尊厳死」です。

わたしたちは(他のすべての事柄もそうであるように)、「死のありかた」についても自己決定権を持っています。人生の最後をどう生きるか、それは誰からも何かを強制されることではありません。最後の最後まで延命措置をするのも選択のひとつなら、延命措置をしないで自然の摂理にゆだねるのもまた、選択のひとつです。

「終末期における医療を選択する権利を守ることができる社会の実現をめざして」、日本尊厳死協会は1976年に設立されています。わたしも正会員(登録番号00335245)として、上記の宣言書に署名(※3)をしています。

協会では尊厳死をこのように定義しています。「不治で末期に至った患者が、本人の意思に基づいて、死期を単に引き延ばすためだけの延命措置をしないで、自然の経過のまま受け入れる死」のことであり、「自然死と同じ意味と考え」ています。

また、「本人の意思は健全な判断のもとで自発的になされることが大切」であり、「尊厳死は、生の放棄ではなく、自らの意思で過剰な延命医療を受けないで尊厳を保って最後を生き、迎える死」ということだそうです。

「宣言書は『医療拒否』や『早く死なせて』の要望書では」ない、とも明記されています。

 

 

 

自然に任せると、自然に逝くことができない?

医療技術の進歩により、わたしたちは過去最高の長寿社会を作り上げました。現在では自分で呼吸ができなくても、人工呼吸器を使用して生き続けることも可能です。「不治かつ末期」であるのなら、そういった延命措置を取らずに、尊厳をもって最後を迎える権利を大切したい、という協会の思いにわたしも強く共感しています。

少し前まで、医者と患者の関係は一方的でした。患者の人生を大きく左右する医療方針も、医者が一歩的に決めて、患者は理解が不充分のままサインをするだけの時代もありました。ですが、それも今は昔。患者本人の意思を尊重する医療理念は、すでに大きく広まっています。

残念ながら、日本では終末医療に関する法律がまだありません。この宣言書に署名をしても法的拘束力はありません。協会では法制化を目指して運動を展開中(※4)、同時に医療者との連携や一般社会への普及啓発も行っております。

多くの方が尊厳死の意味を正しく理解し、広く社会に浸透してほしいと思います。そして! 尊厳死と安楽死(※5)は大きく違います。何にしても終活に関するさまざまな法律的・社会的な整備がなされることを、わたしは強く望んでおります。

 

 

 

※1 遷延性意識障害(持続的植物状態)
自分の意志で動く動物神経が機能せず、生命を維持する植物神経(自律神経)だけが動いている状態を植物状態と呼んできました。ですが、患者を「植物人間」呼ばわりするのは適切ではないとして、現在ではこう呼んでいます(遷延性とは「症状が継続する」という意味)。呼吸、消化、排泄はできますが、栄養は胃ろうなどで取り、詰まった痰を取ってもらう等、全介護が必要な状態になります。

※2 日本尊厳死協会
医師で国会議員でもあった太田典礼氏(故人)を中心に設立され、尊厳死という言葉がなかった当初は、「日本安楽死協会」と称していたそうです(1983年に改称)。今日に至るまでに、誤解による批判をたくさん浴びてきただろうことは容易に想像できます。本部は東京都文京区、公式サイトはこちら( http://www.songenshi-kyokai.com/ )。

※3 正会員として、上記の宣言書に署名
15歳以上であれば誰でも入会が可能。年会費が必要でひとり2,000円、夫婦だと3,000円になります。毎年会費を徴収することで、尊厳死に対する意思が変わっていないことを担保しています。個人の自由意思を尊重するよくできた仕組みだと思います。3年間未納すると登録は抹消、強制的に退会になります。当協会を応援する意味でも、わたしも毎年ちゃんと払いたいと思います(笑)。

※4 協会では法制化を目指して運動を展開中
超党派の「尊厳死法制化を考える議員連盟」とともに活動中。協会の基本姿勢は、「家族の意向ではなく、自己決定による」こと、「医師の法的免責は不可欠」であること、「遷延性意識障害を対象に」することなどです。2013年には、「尊厳ある最後を実現できる仕組みを考える」と安倍総理が国会で答弁しており、政治の解決力に期待です。(不勉強な)わたしが思っている以上に、終活は政治の世界に入り込んでいるのですね。

※5 尊厳死と安楽死
両者が同じ意味で使われているケースをよく見かけます。尊厳死とは「過剰な延命措置を取りやめて、自然に任せて死を迎えること」であり、安楽死とは「薬物等を投下することで、積極的に死を迎えること」です。前者は合法で、後者は今のところ違法行為です(関与した医師は自殺幇助罪に問われる可能性があります)。例えはよくないかもしれませんが、保健所による犬猫の殺処分は安楽死に該当します。

今回のテキストは、日本尊厳死協会発行の「リビング・ウイル問答集」を参考にしています。ありがとうございました。

 

 

 

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吉川徹(よしかわとおる) プロフィール
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1977年静岡県浜松市出身

遺品整理士(IS02984号)
終活カウンセラー上級(1560194)
最終処分場管理責任者

【近況報告】
本当にどうでもいい近況ですが(笑)、仕事用のノートPCの「BACK SPACE」キーが効かなくなりました。文字が消えない! 仕方なく「DEL」キーを使って文字を削除しているのですが、消え方が違うので無駄に苦戦を・・・。そして慣れるころにPCを新調してくれるとの上層部判断が。ごめん、自分、このままでいいっす。デスクトップ、場所、取りそうだし。

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第8回 戦国3兄弟の終活・信長編

信長から始めよう

株式会社三共の吉川徹でございます。今回はちょっぴり趣向を変えて、歴史のお話です。題して「戦国3兄弟の終活」、前編は織田信長です。大丈夫です、安心してください。わたし、歴史の専門家ですから(※1)

説明するまでもないとは思いますが、ここで言う3兄弟とは、「信長・秀吉・家康」のことです。3人に血の繋がりはもちろんはありません(ちなみに信長は子のひとりを秀吉の養子にしており、家康は秀吉の妹を嫁にもらっていますので、何だかんだで複雑な三角関係です・笑)。

織田信長は1534年に現在の愛知県に生まれ、1582年に死んでいます。享年48歳、最後を迎えた場所はあの本能寺。桶狭間の劇的な勝利、他大名に先駆けての上洛、常備軍の整備や楽市・楽座、そして比叡山への焼き討ち等々、数多くの伝説に彩られている不世出の英雄です。  

 

 

 

「会長と社長」がまさか同じ日に死ぬなんて

明智光秀の突然の裏切りによって自刃する信長ですが、終活、考えていなかったわけではありません。戦国大名にとっていちばん大切なのは「家を残す」こと。個人の名を上げることも大事ですが、家はそれ以上の存在。家を残すために個人が犠牲になるのが当たり前の時代でした。

信長には多くの男子がいますが、有名なところで言うと、長男の信忠(のぶただ)、次男の信雄(のぶかつ)、三男の信孝(のぶたか)(※2)になります。

後継者はもちろん長男の信忠。今では信長に劣らぬ優れた資質を有していたという評価ですが、信長は、生前に彼に家督を譲って(※3)おります。つまりこの時点で、「
株式会社織田家」の社長は若き信忠、信長は会長という立場になっていたと言うことができます。

そうであるのなら、会長職にある信長が本能寺で横死しても、社長が健在である織田家はそこまでは困らないはず。そのまま信忠が織田家をまとめて裏切り者を討ち、全国統一の道を再び歩むだけ。柴田や羽柴といった家臣団も問題なく従ったことでしょう。

しかしそうはならずに、清州会議という「織田家分裂会議」に至ったのは、この信忠も同じ日に死んでしまったため(※4)、なんです。本能寺の近くにいた信忠は「信長死す」の報に接し、明智勢を迎え討つべく籠城、善戦むなしく最後は自刃しております。

歴史にifはないと言いますが、もし、信忠が生き残っていたらと思わずにはいられません。武士らしく潔い死を選んだ彼には酷かもしれませんが、しかし、「信長も信忠も同じ日に死ぬ」というのは、まさに織田家にとっては最悪の結果になってしまいました。

 

 

 

自分の後継者を決めておくだけでは足りない?

では信長はどうすればよかったのでしょうか。もっと部下を大事にしていればよかった、のはそのとおりなのですが(笑)、終活の視点から言えば、「自分の次」を指名した後は、「自分の次の次」を指定しておくべきでした。

すなわち、「
信忠の次の後継者」を早々に指名しておくべきでした。(信忠には三法師という嫡男(※5)がいましたが、三法師が成人する前に信忠が死んだときは後見人をどうするのか等々、決めておくべきでした)。

あるいは、「自分の次の次まで指定しておくべきだった、というのはさすがに言い過ぎだろう」とあなたは思うかもしれません。ですが、たとえば現代のアメリカ合衆国ならどうでしょう。大統領と副大統領が同時に死ぬことを想定していないでしょうか。

もちろんそんなことはなく、「大統領の次の次」は上院議長、その次が下院議長と法律で定められており、何とこの継承順位は第17位まであるのです(アメリカはリスクマネジメントに本気だとも言えますが、実際のところは「常に戦時体制なだけ」とも言えます)。

ということで。3兄弟のなかでは信長の終活は「平均点」。終活カウンセラー上級の資格を有するわたしがそばにいれば、もう少しいいアドバイスができたんじゃないかなあと思いますが、すみません、嘘です(笑)。きっと思わぬところで怒りを買って、早々に斬り殺されていたと思います・・・。

戦国大名の家は、今でいうところの株式会社。皆さんの会社では、「社長の次の次」まで決まっていますか? 次回はもちろん秀吉をとりあげます。次の次の次の、コラムで。

 

 

 

※1 わたし、歴史の専門家ですから
以前、塾の講師をしていたことがあるとお話ししましたが、わたしは「中学生の社会科」を担当していました。故に専門家というわけです。大丈夫です、安心して・・・。え? 中学生を相手にする程度で専門家と言えるのかって? ええっと?

※2 次男の信雄(のぶかつ)、三男の信孝(のぶただ)
ちなみに次男の信雄は家臣団からも不評で、彼の資質の低さも清州会議の分裂の遠因ともなりました。明智側が残した安土城に火をつけたのも、実はこの人なんです(いろいろ調べてみましたがその理由は不明)。小牧・長久手で家康と組んで戦を起こし、そして勝手に和睦したのもこの人。性格的に何か問題があったと思われます。三男の信孝は山崎の戦いで名目上の総大将となるも、後に柴田勝家に接近して秀吉と対立、最後は敗れて切腹させられています。

※3 生前に彼に家督を譲って
信長は1575年に嫡男の信忠を正室の濃姫の養子にし、織田家の直轄地を譲っています(翌年には岐阜城も譲渡)。1581年の京都御馬揃えの際には序列第1位、家督は信忠に譲っていたと理解できます。そのときの序列第2位は次男の信雄、第3位は信長の実弟、第4位が信孝でした。

※4 信忠も同じ日に死んでしまったため
当時、信忠は妙覚寺に宿泊していましたが、明智勢急襲の知らせを受けて救援に出発、途中で信長死亡の報告を受け、方針を変更。応戦、及び織田家と距離が近かった皇族を守るために二条新御所に籠城、皇族を逃がしてみずからは寡兵で善戦し、最後は敗戦を悟って自刃しています(信長と同様、死体は発見されませんでした)。ですが、政治は結果責任。このときの最優先事項は「総大将である自分が生き残ること」。部下を全滅させてでも彼だけは生き残るべきでした。

※5 三法師という嫡男
信長から見ると嫡孫に当たる三法師、清州会議で秀吉に担がれた当時は3歳でした。長じて織田秀信となり、その後は秀吉に従っています。関ヶ原では石田方について敗戦、所領を没収されて高野山に送られています。しかし「信長の孫」ということで迫害されたとも言われ、最後は追放されて死亡。享年26歳でした。病死とも自害とも伝わっています。生前にキリスト教の洗礼を受けていました。彼の死亡により信長の直系は途絶えたとされています。

 

 

 

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吉川徹(よしかわとおる) プロフィール
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1977年静岡県浜松市出身

遺品整理士(IS02984号)
終活カウンセラー上級(1560194)
最終処分場管理責任者

【近況報告】
9月22日、クリエート浜松にて、「終活カウンセラーと書く、はじめてのエンディングノート書き方セミナー」を行いました。定員を超えるご応募をいただき、本当に嬉しく思います。人生の先輩方にこんなセミナーをさせていただくのはおこがましいのですが、とても楽しかったです(笑)。セミナーもどんどん開催していきたいと思いますので、機会があれば是非ご参加ください。

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第7回 この身のすべてが形見である

プライベートな昔話ですが

みなさま、こんにちは。株式会社三共の吉川徹でございます。今回はプライベートなお話です。わたしの母は、わたしが25歳のときに(※1)に他界しています。

あんなに元気だったのにある日突然、ではなく、徐々に衰弱し、自宅でゆっくりと最後を迎えました。癌の末期だったのですが、その日は朝から目が覚めることなく、規則的な呼吸音だけが部屋に響いていました。

そしてその状態が半日以上続き、深夜に、そっと息を引き取りました。享年55歳でした。  

 

 

 

最後の瞬間に立ち合えるということ

本当に幸運だったのですが、わたしはその間、ずっと母のそばにいることができました。したがって、最後の瞬間にも立ち会うことができました。

わたしは思うのですが、大切な身内の最後に立ち合えないケースはたくさんあると思うし、立ち合えないことによって、過剰な後悔を負うこともあるのではないでしょうか。ああしてあげればよかったとか、もっとこういうことをしてあげたかったのにとか。

わたしももちろんできなかった親孝行を悔やみ(※2)はしますが、後になって考えてみると、立ち合えたことでその思いはかなり軽減されたと思います。

余談ですが、葬儀が終わった後、わたしは一週間くらい寝込んでしまいました。ブラックアウト。どういうわけか、わたしはその一週間の記憶がほとんどない(※3)のです。


母は自分の死期をはっきりと悟っていたのでしょう。見舞いに来た身内や友達に、「かなり気前よく」バッグや装飾品をプレゼントしていました。こんな(高価そうな)物は受け取れないと言う親友に、「生前贈与ですよ」とわたしが口をはさむと、母は笑ってうなずいていました(その親友はもちろん複雑そうな顔をしていました)。

わたしの姉にも女の子なんだからと指輪などを渡し、わたしもその一部を受け取りました。指輪もたとえば着物も、わたしが身につけるわけではないけれど、しかし、もう少しもらっておけばよかったなと思います。

生前贈与だと言いながら(※4)、その実、わたしもどこかで冗談だと思っていたんでしょう。

 

 

 

形見に価値なんてない・・・?

自分の大切にしていた品を誰に託すか。終活のとても大切なテーマのひとつだと思います。不動産や有価証券のような数字に換算できる財物ではなく、故人の思いの詰まった品を誰が受け取るのか。取り合いになってしまったり、あるいは価値があるのに廃棄されてしまったり。

形見(遺品)の行方、ということなのですが、しかし、わたしは本当はこう思っています。形見に価値なんてない、と。何故なら、わたしのこの身のすべてが母の形見だからです。

五体満足のこの身が(あるいは五体満足でなかったとしても)、一から十まですべて、母から受け継いだものだからです。

ですからもし、自分の形見を誰にどうわけようか悩んでいる方がいたら、わたしはこう答えます。物は物でしかなく、それよりももっと価値のあるものがあると思います、そしてそれはすでに受け渡してあるのではありませんか、と。

終活カウンセラーとしては、あるいは模範解答ではない(※5)のかもしれませんけれど。

 

 

 

※1 わたしが25歳のときに
1977年生まれのわたしは、現在39歳です。終活に興味のある30代・40代の方はあまりいらっしゃらないだろうから、それを思うとわたしは、「終活に携わるには若すぎる」のかもしれません(笑)。ですが、人の生き死にをあれこれ論じるのが終活カウンセラーの仕事ではないし、当コラムの目的でもありません。何者でもないわたしを、わたしはずっと意識していたいと思っています。

※2 できなかった親孝行を悔やみ
「いつまでもあると思うな、親と金」ということですが、どうでしょう。自分は親孝行をきっちりできたなあ、なんていう方は本当に稀なのではないでしょうか。わたしたちにできることはたぶん、受けた恩を親に返すことではなく、次の世代を育てることによって代替すること、だと思います。

※3 一週間の記憶がほとんどないのです
何だか作り話みたいで恐縮なのですが、食事や排泄をして生命を維持していたはずなのだから、そんなことはないんじゃないかと思うのですが、やっぱり、ほとんど思い出せないんですよねえ。でもまあ世の中、不思議体験なんていくらでもありますから。

※4 生前贈与だと言いながら
今回の内容とは少し違いますが、実際の生前贈与は、年間で110万円までなら非課税で現金や不動産を贈与できる制度です。言わば、「自分の目の黒いうちに、自分の財産を任意の相手に譲渡できる」わけですから、便利な制度です。とはいえ、いろいろ細かい規定もありますので、詳しくはお近くの税理士にご相談ください。

※5 あるいは模範解答ではない
それを思うと女親というのはずるいなあ、なんて思ったりもします。21世紀の今なお、妊娠・出産は女性のみの特権であり、わたしは命がけであなたを生んだのよ、という台詞が許されるのも女性だけです。人類の歴史をつむいできたのは常に女性であり、男たるわたしたちがしてきたことは戦争くらいでしょうか、などと言ってみたり。

 

 

 

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吉川徹(よしかわとおる) プロフィール
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1977年静岡県浜松市出身

遺品整理士(IS02984号)
終活カウンセラー上級(1560194)
最終処分場管理責任者

【近況報告】
先日、商工会議所青年部の視察旅行で、愛媛・徳島へ行ってきました。人口減少時代における地方都市の定住人口増加策、なんていうところですが、当然、特別なマジックがあるわけでもなく。「個の資質 × 情熱 × 運」で勝負するしかないという現実に大いに共感。個の資質、磨きたいですね、うんうん。